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 自分で判断、決断、実行できるようになるために、人から教わる、指示を聞くとき、ただひたすら言われたことを忠実に「従う」時、自分で決めなくては良いのですが、人のせいにしてしまいます。とにかく依存できる人を探してしまいます。うまくいかないときは不満を言ってその場から引いてしまいます。

人のいうことにしたがうとき、全体の中でどういう意味があるのかを、考えることが大事です。自分を取り巻く人、事、物、場を考えて広げてゆくとき、今、どうするのかが決まってくるのです。この場合、自主性は「決める」ではなく「決まる」です。

今、店先に並ぶ果物が、前からりんご、りんご、りんご、次がメロン、メロン、メロン、次がスイカ、・・・、スイカと並んでいる時、・・・はなにか決まってきます。全体が見えてないとき、自主性ではないのです。「こうにしかなりません」は信頼できるのですが、全体が見えないままに「これにきめました」はただのわがままになってしまいます。

教わるが側が一流になるのは大変ですが、めざしたいですね。

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2010.10.31 Sun l フリースクール玄海ブログ l コメント (0) トラックバック (0) l top
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